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[jamsat-bb:6812] きっかけ(Re:先ほどのUO-14)


JF6BCC 今石です。

At 2000/12/25 23:23:43 Kuniyoshi NAKADA wrote:
> JA6BX;
> >しかし、実を言うと私が衛星の世界に入り込んだのは、誰もが簡単
> >にできそうでないから・・  ということからでした。
> >現状とは、いささか矛盾していますが、年を取るにつれて考えが少
> >しづつ変ってきたことも事実です。
> 
> ぢつは、私も動機は同じだったりします(笑)
> でも、実際やってみると、あまり難しくないんですよね。
<以下略>

  衛星通信をはじめたきっかけと言えば、私の場合は非常に「即物的」と
言いますが、サイパンに移動運用に出ると言う話がでて、それならぜひ衛
星(AO-13)に出ようよ、と言うことになって、何か色々あって「出なきゃ
いけない」みたいな強迫観念が出来てしまって (^^;)、泥縄的に設備を準
備して短期間でノウハウを勉強するハメになったんですよね。

  そもそもは、1993 年に知人に誘われ、米ノビス級(入門級ですが、日本
で言えば旧電信級です、しかも CW しかできなかった大昔の)の資格試験
を受けてみたら合格してしまったのが発端ですね。受験時のお約束で、グ
アム移動運用ツアーに参加することになり(当然、移動運用の予定が無い
人間は受験できないから)、米有資格者は日本免許のレシプロ運用が効か
なくなるので、ノピス級ではロクな運用ができない、と勉強したのはいい
のですが、元々 CW が弱い私は 13WPM の CW 試験になかなか合格できず、
1993 年6月の初めてのグアム移動は、テクニシャン・プラス級(ノビス+
VHF 以上のフルクラス)での参加となり、21MHz でたった5局しか QSO で
きなかったと言う悔しい思い出が…。
  まあ、その時の悔しさのおかげで、最終的にエクストラ級まで取ること
ができた、と言う話はさておいて、そのグアム移動メンバーに衛星通信を
されている方がいらっしゃいまして、ホテルのベランダから、釣り竿をブ
ームにした自作の 145MHz 八木で AO-13 に QRV されたんです。それまで
も、ハムフェアの時などに JAMSAT のブースを覗いたり、雑誌の記事を見
たりしてはいたのですが、この時が、衛星通信を直接実感した最初でした。
リグはよく憶えていないのですが、TS-780 か何かだったと…。

  その後すぐジェネラル級、アドバンスド級になり(でもコールサインは
気に入ったのでテクニシャン級の時のまま)HFでもそこそこの運用がで
きるようになったので、1994 年5月には、とあるコンテスターのお供を
して、サイパンのちょっと南にあるロタ島への移動運用をしました。主客
のコンテスター局は当然 HF でバリバリ運用し、私はコンテストに関係無
い WARC バンドで細々とパイルを楽しんだ訳ですが、もともとコンテスト
やドッグパイルが好きだった訳ではなく、この時から「グループ移動のサ
ポート役」ってのが自分のはまり役だと思うようになりました。
  そうこうしているうちに、所属クラブで 1994 年9月にサイパン移動を
する計画が立ちました。参加者は私を含めて4人、格安のパックツアーの
ためホテルはサイパン北部のマリアナリゾートホテルです。ここはコテー
ジ形式で居室の外には広々としたベランダが…。他の参加者3人は皆さん
HFでバリバリの「猛者」でしたので、私は他に何か楽しみを見つけなく
てはなりません。その時、前年のグアム移動で体験した衛星通信を思い立
ち、クラブでその話をしたところ、確か JA3GEP 毛利さんから「ぜひ」に
と勧められたんですよね。衛星楽しいよ衛星面白いよって (^^;)。そこら
辺、どうしてその気になったのか記憶が曖昧なんですけど、とにかくそん
な訳で、サイパン移動で AO-13 に QRV すべく、衛星オペレータの「作成
栽培」を…しかも自力でやるハメになってしまいました。

  どうやって予算を調達したのか憶えていないのですが(年に2回も海外
移動やってるのでかなり無理したはず)、当時発売されたばかりの IC-820D
と中古のプリアンプを調達し、東京ハイパワー社の HX-240 という 2m->HF
ダウンバータと組み合わせて HF にも QRV できるセットに仕立てました。
アンテナは何しろ移動運用ですから、釣り竿ケース2つに収納できるよう
にと、マスプロの 145MHz 8ele に 435MHz 12ele のエレメントを直交して
組みつけたクロス八木もどきを用意し、アラキの三脚でベランダに置いて
手動で方位を調整するスタイルにしました。
  もちろん、現場でぶっつけ本番をする訳にはいきませんから、移動運用
の当日まで、自宅のベランダや移動運用先で設備を広げて、AO-13 や FO-20
相手に衛星通信の特訓です。ドップラーシフトを追うってのも初体験でし
たし、とにかく HF 運用に比べると忙しい!、でも、面白かったんですよ
これが。テスト運用では 8ele の受信能力不足が露呈して、本番移動まで
に延長ブームを自作し、145 10ele / 435 16ele のアンテナに仕立てまし
た。

 さて、実際のサイパン本番では大成功!…と言いたいところなのですが、
実験ではそこそこ使い物になったアンテナでしたが、現地では 2m 帯にす
ごい雑音があり、AO-13 のダウンリンクがよく聞こえないのです。このま
まではアリゲータの烙印を押されそう、と QRV を躊躇したのですが、結局
何とか「根性」で受信して、滞在中の2回のチャンスで合計 100 局ほどの
QSO(大部分が CW)を成立させることに成功しました。
 この移動運用ではっきりしたことは、衛星は面白い、だが、南の島では
MODE-B の受信は日本より大変で、いい加減な設備ではやっていけない、ヘ
タをするとHFの設備より大規模になってしまうぞ、と言うことです。

 その後、2m のアンテナを TONO の移動用 9ele F9FT にグレードアップ
して、1995 年前半に再びサイパン・パラオ移動を実施しましたが、サイパ
ンでは高層ホテルのベランダが狭過ぎてロクにアンテナが展開できず、パ
ラオでは雑音に加えて、シャックまでの距離が予想外に長く、間に合わせ
で HF 用の 3D-2V を使ったため同軸ロスがひどく、結局ほとんど交信でき
ないままでした。逆に、自宅にはルーフタワーと仰角ローテータを上げ、
シャックからのんびり QSO できる環境を整えました。1995 年 11 月には
総勢 11 名のサイパン移動運用に参加し、今度は自作のアンテナで AO-13
に挑戦、数十局と交信しています。
  しかし、1996 年に入ってからは、AO-13 の遠地点が南半球へ行ってしま
い DX との交信チャンスが減ってしまったことや、グループではなく個人
での僻地(と言ってもミクロネシアだが)への単独行が主になりました。
色々な事情もあって、それまで勤めていた会社を辞めて 1996 年8月から
パラオに滞在、現地の旅行会社スタッフとして過ごしました。当時 Phase-3D
衛星がすぐにでも上がる雰囲気でしたので、パラオには IC-820 を持ちこ
んで(荷物の量からアンテナ持参は断念)、アンテナさえ用意すれば現地
から第一声を出そう!、ともくろんでいたのですが…。打ち上げが延びに
延びてしまったのはご存知のとおりです。KC6 が T88 に変わり、日本から
の移動局の免許手続きの世話をしたり…、でも、現地で仕事をしていると
ロクに休みもありませんから、QRV するのはいつも手軽な 14MHz か 21MHz
の SSB でした。

 パラオにはもっと長く滞在するつもりだったのですが、韓国経済の破綻
と大韓航空ジャンボのグアム墜落事故で韓国人旅客が消滅し、台湾からの
旅客の急増でホテルの予約が困難となったことなどから日本人旅客に敬遠
されてしまったことなど、まあ様々な事情でパラオの勤め先が日本人部門
を閉鎖することになってしまいました。パラオに限った話じゃないんです
が、外国人労働者ってのはビザの関係で転職できないんで、勤め先が無く
なると労働許可も失効して帰国するしか無いんですよね。抜け道もあった
のですが、他にも色々と外国人に対する規制強化(それも Stupid! な)が
あって、居づらく感じるようになり、結局 1998 年のゴールデンウィーク
を最後に帰国してしまいました。
  滞在中に Phase-3D が上がるだろうと期待していただけに、実現しなか
ったのが残念でしたが、IC-820 その他設備一式は、現地の OM ハムに、近
い将来衛星が上がったら使ってよ、と残しました(つい先日、パラオのそ
のハムを訪問した方によれば、まだ IC-820 は存在していたようですが、
使われた形跡はさすがに無いようで、湿気の多い国だけに、今でも動作す
るのか不明です)。帰国後はとにかく、再就職先探しで大騒ぎ、運良く元
々の職業だったコンピュータSEの仕事に就くことができましたが、経済
的にも心情的にもアマ無線をするどころではなく、忙しさもあってアマ無
線活動は停止したまま、1999 年には JF6BCC の局免許も失効させてしま
いました。

  で、ようやく 2000 年夏になって、アマ無線を再開しようと言う気にな
ってみると、まだ Phase-3D は上がっていないが、何やら FM レピータ衛
星なるものがあると言う話。何しろ、殆どのリグはパラオに残してきてし
まいましたので、手持ちのリグは、帰国の荷物に残っていた FT-73 と TM-441、
それと実家に残していた P-7DX (7MHz CW 0.5W) とピコ 21 だけでした。
まあ、ものは試しと UO-14 や AO-27、SO-35 の(当時は Mode-J だったの
でダウンリンクは 436MHz だった)FM 衛星を FT-73 とホイップで聞いて
みたら…聞こえるじゃないですか、しっかりと。
  あのとき、もし FM 衛星からの信号がよく聞こえなかったなら、そのま
ま再開せず、別の趣味に走っていただろうと思います。が、FT-73 から聞
こえた…確か JA6BX 江崎さんか JA4GVA 村上さんだったと思うんですが、
あの声のおかげで FM 衛星に興味を持ち、とりあえず 2m の FM 機を調達
して局免の再開にこぎつけることができました、感謝です。あとは皆さん
JAMSAT-bb の投稿でご存知の通りです。

# 九州でも再指定が始まっていて、今だと JA6 の前半の空きコールが貰
# えるんですよね。クラブのメンバーから「いいチャンスだから JA6 何
# たらに変えろ」って勧められ、私もちょっと心が動いたんですが、結局
# 最初に取った JF6BCC か空いていたので復活させることにしました。

  こうして書いてみると、あれですね。私の衛星通信の経験ってほんの微
々たるものなんですよね。偉そうなことを書ける筋合いは全然無いわけで
す。
  初回ロットの FT-817 を6回分割払いで購入して、ようやく SSB/CW の
衛星もワッチできるようになりましたが、これ一台では SSB/CW 衛星での
通信はさすがにできません。唯一、ピコ21をアップリンクに使える RS-13
には出ることができますが…。当分は FM 衛星オンリーでがんばるしかな
いですね。

> あれ?もしかして、私もOMなのかな???

  え、違うおつもりで? (^^;)。

では。
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Yoshihiro Imaishi 今石良寛 - 福岡県北九州市
JF6BCC, KH2GR (ex. T88J, T88IY, V63BP)
  jf6bcc@jarl.com
  http://plaza16.mbn.or.jp/~palau/
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